後段2――「異口同音」なのはA氏と湖南だけ 1――白石は問題提起 記事№...9
「古田武彦氏の説のウソ、・・№7」―2−1 景初3年が正しい理由―その6
ネット上、絶対的多数の記事は「新井白石と内藤湖南が邪馬台国近畿論者であり、『三国志』の倭遣使記事にある『景初二年六月』も、誤りと断定している」、と主張しています。A氏もその絶対的多数者の一人です。
白石は「古史通或問」で「倭女王卑弥呼と見えしは日女子と申せし事を彼國の音をもてしるせしなるべし」として、あわせて「皇后摂政三十九(景初三年)年に魏に通ぜられしと見えしは」等と書いています。また「邪馬台国は大和なり」としています。この時期、邪馬台国、大和論者であったことに間違いはないでしょう。
しかし白石が湖南と同じ景初三年論者であったか、というと肯定できません。私には、古田氏が、そしてA氏が、「古史通或問」から引用した文章について解釈上の疑問があるのです
今回は、この点について述べました。
但し、能力に余る書き込みであったことを、認めざるを得ません。記述にかなりの混乱が出てしまいました(苦笑)。目次から最後の纏めに飛んでいただいてもよろしいかと思います。
白石、「景初三年説」への疑念
白石が「景初三年論者」であったとして根拠を示すほとんどの記事は次の行文で挙証していますので、くどくなりますが再掲します。
魏使に景初二年六月倭女王其大夫をして帯方郡に詣りて天子に詣りて朝献せん事を求む。其年十二月に詔書をたまはりて親魏倭王とす、と見へしは心得られず。
遼東の公孫淵滅びしは景初二年八月の事也。其道未だ開けざらむに我国の使人帯方に至るべきにもあらず
疑念の発端
白石が「遣使記事を誤りと断定している」とする場合、引用文理解に下記の解釈がなされていると思います。
「心得られず」=納得できない、理解できない
「開けざらむに」=開いていない
「至るべきにもあらず。」=至ることは出来ない
上記を逆にたどってみます。
納得できない、理解できない=「心得ず」
開いていない=「開けざる、開かざる」
至ることは出来ない=「至らず」
このようにも置き換えることが出来ます。文意と並べた場合はこちらの方がすっきりしますし、私にしっくりきます。
絶対的多数者の解釈では引用文全体がすごくモタツイタ文章に思えませんか。わたしには解釈が少しずれているように思えるのです。
そこで、この三つのフレーズの解釈を考えなおしてみることにしました
「心得られず」
「心得られず」=動詞「心得る」の活用形で未然形・連用形「こころえ」+可能性を示す助動詞「らる」の未然形+打消しの助動詞「ず」の複合形です。
「心得る」は次のような意味です。 ① ある物事について,こうであると理解する。わかる。 「この場を何と-・えるか」 「呼ばれたものと-・えて/歌行灯 鏡花」 ② 事情を十分知った上で引き受ける。承知する。 「万事-・えました」 ③ すっかり身についている。心得がある。 「茶道については一通りのことは-・えている」 ④ 気 をつける。用心する。 「ころび落ちぬやう-・えて炭を積むべきなり/徒然 213」
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「られ」とは受身、尊敬、可能、自発を意味する助動詞「らる」の未然形、連用形だそうです。
受身 … ~される
尊敬 … お~になる
自発 … ~せずにはいられない
可能 … ~できる
受身でも尊敬でもありません。自発の場合は自然に…となる、つい…られてくるという意味で、これも違います。残るは可能を意味する助動詞だけです。
可能を意味する助動詞としては「庵なども浮きぬばかりに雨降りなどすれば、恐ろしくていも寝られず。(更級日記)(仮小屋が浮き上がるばかりに雨が降るので、恐くて寝ることもではない。)」このように未然形として使われるそうです。
未然形とその事態が未だ起きないことを示す意。「る」「らる」の後に打消の言葉が続いていないときは可能ではないそうです。
白石の「心得られず」を一個の動詞としてとらえ、否定形に理解して前にある遣使の記事を白石が「あり得ない」と否定していると解釈しているようですがこれには間違いです。文法上「られ」は「心得」とは品詞も違う別個の単語なのです。
すると白石は遣使記事を否定しているのではありません。否定・肯定はさて置いて、現在は「心得」ることが出来ないと言っているのです。ちょっと強めの表現になりますが「いまだ理解できないが・・」と解釈しなくてはいけないのではないかと思います
「開(ひら、あ)けざらむに」
動詞「開く」の連用形「開け」+打消しの助動詞「ず」の未然形、連用形「ざら」+推量・適当・仮定の助動詞「む(ん)」の終止形、連体形+断定の助動詞「なり」の連用形「に」
ちょうどいい例文がありましたので、解釈に使わせてもらいます 。
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に今ひとたびの 逢ふこともがな:和泉式部
――私は、そう長くは生きていないでしょう。あの世へ行ったときの思い出のために、もう一度あなたに抱かれたいものです
あらざらむ 生きてはいないだろう。下の「この世」を修飾する。「あら」はラ変動詞「あり」の未然形。「ざら」〔打ち消しの助動詞「ず」の連用形。「む」は推量の助動詞「む」の連体形。■この世のほか」は来世。死後の世界。「この世」は現世。 ■もがな 願望の終助詞。
「其道未だ開けざらむに」は断定である「其道未だ開けざるに」ではないのです。この例文の解釈に従って現代語に直すと「その道は開いているかどうかわからないのに」となるのではないでしょうか
「至るべきにもあらず
「べき」の基本形は「べし」です。推量・意志・当然・適当・命令・可能の意味を持っています。
「に」断定の助動詞「なり」の連用形
「も」は副助詞で「~も」を含むことがらに、「他のことがらと同様にこのことがらが成立する」という意味(並立・付加)を付け加えます。(田中さんは学生です。佐藤さんも学生です。 )
用法の特殊な場合として、その状況で起きているさまざまなことがらの一例として、あることがらを表わす場合があります。(時間も来ました。そろそろ終わりにしましょう。)
それぞれの意味の文例を示し「其道未だ開けざらむに」「我国の使人帯方に至るべきにもあらず」に当て嵌めてみます。
推量
風情すくなく、心あさからん人の、さとりがたきことをば知りぬべき。(無名抄)
――風情な心が少なく、感情が浅い人が(歌の情趣や余情などを)理解しにくいことがきっとわかるだろう。」
「道が開いているかどうかがわからず」、「帯方郡治に到着しないのではないか」
意志
「いかか他の力を借るべき。(方丈記)
――どうして他人の力を借りるのだろうか。」
「道が開いているかどうかがわからないのに」、「帯方郡治に到着しなければならないということはない」
当然
「必ず来べき人のもとに車をやりて待つに、(枕草子・二五段)
――必ず来るはずの人のもとに牛車をやって待っていると」
「道が開いているかどうかがわからないのに」、「必ず帯方郡治に到着するということではない」
適当
「月の影はおなじことなるべければ、人の心もおなじことにやあらん。(土佐日記・一月二十日)
――(中国でも日本でも)月の光は同じはずなので、人の心も同じことなのでしょう。」
「道が開いているかどうかがわからないのに」、「帯方郡治に到着するという必然性はない」
命令
「さてもあるべきならねば、鎧直垂を取つて、首をつつまんとしけるに、(平家物語・敦盛の最後)
――そうしているわけにはいかなので、鎧直垂を取って、首をつつもうとしたところ、」
「道が開いているかどうかがわからないのにわからず」、「帯方郡治に到着しなければならない、必要性はない」
可能
「さやはけにくく、仰せごとをはえなうもてなすべき(枕草子・二三段)
――そうそっけなくせっかくの仰せごとを無駄にすることはできないでしょう。
「道が開いているかどうかがわからないのに」=「帯方郡治に到着する可能性はない
引用文全体で見る
どれを適用しても「も」の働きが不明で文意が確定しません。もう少し枠を大きくとってみましょう。
「帯方郡治への道が開いているかどうかがわからず、《我国の使人帯方に至るべきに》あらずということも、《心得られ》ない理由の一つである。」これでどうでしょう。
書いてはいないが、他にも心得られない理由がある、ということです。
このように理解すると一つ整理しておく問題が出てきます。「わから」ない主人公を、倭とするか、白石とするかです。
まず、直後には「我国の使人帯方に至るべき」とありますから、白石は「倭にしてみれば《道が開いているか、開いていないか》の判断が出来なかったはずだ」と言っていると解釈してみます。
当然の否定
「道が開いているかどうかがわからないのに」、使者を派遣しても「必ず帯方郡治に到着するということではない」
文法解釈から離れますが、倭は帯方郡治に着けるかどうかの判断がつかず、遣使を派遣しなかったと言っていることになります。
次に、白石が「三国志」の記述からは読み取れないとし、状況を推察したと仮定します。
推量
「道が開いているかどうかがわからず」、「帯方郡治に到着しないのではないか」
遣使を出しても到着できなかっただろうと言っていることになります
纏めと、お願
要点がぼけてしまいました、話を戻します。
白石は、同じ「古史通或問」の中で「外国の文献は信じすぎてもいけないし、むやみに排除してはいけない」ということを述べています。「魏志」の遣使記事についても同じ視点で接しているでしょう。
「心得られず」は、「心得ず」ではありません。今、現在は理解できない、という意を含んでいます。
「心得られず」の理由として挙げたのが「開けざらむに」、「至るべきにもあらず。」です。
「開けざらむに」、は「道が開いているかどうかがわからないのに」と解するべきです。
「至るべきに(も)あらず。」は「開けざらむに」を前提としています。
「道が開いているかどうかがわからないのに」使者を派遣しても「至るべきに(も)あらず。」となります。
白石の其の後の研究によって「開けざらむ」が否定された場合、「至るべし」になり、「心得られず」も「心得たり」に反転する構造なのです。この引用文全体が基本的に断定ではなく、仮定で成り立っています。
白石にとって「魏志」にある倭の遣使記事は、今後の研究課題であり、研究者への問題提起だったのではないかと思います。
景初二年六月遣使を否定し切った湖南やA氏と同列に置くことはできないと思います。
私はこのようなに考えているのですが、残念なことに(絶頂不勉強ゆえに)、より緻密に検証するには文法について疎すぎます。そのため検証上無理し、記述が混乱してしまいました。どなたかこの引用文をより適切に現代訳してくださらないでしょうか。
そしてコメントとして送っていただけると、すごく” 感謝 ” です。
読者ゼロのブログで良かった。こんな記事でも炎上する心配をしなくて済みます(冷汗)。