2017-01-01から1年間の記事一覧

例文内の「又」の役割2 倭人条――記事№...20

「古田武彦氏の説のウソ、・・№17」――2−1 景初3年が正しい理由―その16 「倭人条」の「又」を検証しました。「又」が五個、三所所に出てきます。なかなか難しく一回休ませていただきましたが、やっと結論らしい形が付きました。ちょっと長くなりますが一気…

例文内の「又」の役割――記事№...19

「古田武彦氏の説のウソ、・・№16」――2−1 景初3年が正しい理由―その15 前回、中断した「復犯遼東、寇新安・居郷、又攻西安平、于道上殺帶方令、略得樂浪太守妻子」には、このままでは理解しづらいことがもう一つあります。 伯固が「復犯遼東」と言っていま…

「又」の例文、その⒉――記事№...18

「古田武彦氏の説のウソ、・・№15」――2−1 景初3年が正しい理由―その14 今回は後廻しにした二つについては述べたいと思います。 今回のこの二つの記事は、個々の国内についてとどまっている記事ではありません。そこで判りやすいようにwikipediaから地図を…

「又」の例文――記事№...17

「古田武彦氏の説のウソ、・・№14」―― 景初3年が正しい理由―その13 目次 「古田武彦氏の説のウソ、・・№14」―― 景初3年が正しい理由―その13 「又」の用 夫餘 高句麗 東沃沮 挹婁 濊 韓 「又」の用 今回はⒷ作戦の実施時期を述べるつもりでしたが、今までの…

「又=すると、さらに」は間違い――記事№...16

「古田武彦氏の説のウソ、・・№13」――2−1 景初3年が正しい理由 目次 さて次の疑問点です 短い同一段落に二つの「又」。 『諸橋大百科事典』 「さらに」と「再び」の役割、そして「すると」を挿入した意味。 新たな二つの疑問。 検証項目の設定。 疑問②。 …

  「収=攻め取った」は誤り――記事№...15

「古田武彦氏の説のウソ、・・№12」――2−1 景初3年が正しい理由―その11 今回からA氏の主張する遣使景初三年説の根拠について検証して行きたいと思います。論拠となっているのは筑摩書房版『三国志』訳本の訳文です。 まず前回述べましたように「收樂浪帶方…

A氏の論理の検証  ” いざ !!  “と張り切っています、が・・・苦戦しています。――記事№...14

「古田武彦氏の説のウソ、・・№11」――2−1 景初3年が正しい理由―その10 先賢の「遣使」年度についての所説は切り離されました。ここからの私のA氏の主張検証は次の三項に重点を置きたいと思っています。 目次 検証の方針。 「公孫度 (淵ママ)傳」――八月壬…

〔「東夷傳序文」の風景〕の続きと、前回「ここまでの纏め」の書き直しです。――記事№...13

「古田武彦氏の説のウソ、・・№10」――2−1 景初3年が正しい理由―その9 〔「東夷傳序文」の風景〕の続きと「ここまでの纏め」の書き直しです。前回の「ここまでの纏め」に補足を加え、(削除すべきなのでしょうが)今回の後半で書き直しました。 目次 〔「東夷…

内藤湖南の『卑弥呼考』――記事№...12

「古田武彦氏の説のウソ、・・№9」――1 景初3年が正しい理由―その8 『卑弥呼考』を見つけました。 飛ばし読みです。 お粗末な景初三年の証明。 湖南のイデオロギー告白か?。 白石について。 ここまでの纏。 『卑弥呼考』を見つけました。 先に内藤湖南の「…

「東夷傳 序文」の風景――記事№...11

「古田武彦氏の説のウソ、・・№8」――2−1 景初3年が正しい理由―その7 すでにお馴染みになった引用文を、その少し後まで紹介します。すると馴染の引用文は「東夷傳 序文」全体から見ないと理解しずらいことが判ります。 目次 偏師派遣 (東)沃沮 粛慎 偏師派…

後段3――「異口同音」なのはA氏と湖南だけ 2――記事№...10

「古田武彦氏の説のウソ、・・ №7」―1 景初3年が正しい理由―その6 『古史通或問』には、A氏・湖南の二人と、白石の違いがさらにはっきり判る記述があります。 白石は正始四年説。 引用文の補足。 『晋書』 [皇后摂政三十九年] [神功摂政四十三年] 道は…

後段2――「異口同音」なのはA氏と湖南だけ 1――白石は問題提起       記事№...9

「古田武彦氏の説のウソ、・・№7」―2−1 景初3年が正しい理由―その6 ネット上、絶対的多数の記事は「新井白石と内藤湖南が邪馬台国近畿論者であり、『三国志』の倭遣使記事にある『景初二年六月』も、誤りと断定している」、と主張しています。A氏もその…

後段1――先賢が「異口同音」に景初三年説?-姚思廉・新井白石・内藤湖南――記事№...8

「古田武彦氏の説のウソ、・・№6」――2−1 景初3年が正しい理由―その5 A氏は諸先賢の氏と同じ主張を紹介します。姚思廉、新井白石、内藤湖南、の「三人が《魏は景初2年6月、まだ帯方郡に太守を置いてない、倭の遣使は、景初3年6月の誤りである》と、” …

前段、A氏の理路―記事№...7

「古田武彦氏の説のウソ、・・№5」――2−1 景初3年が正しい理由―その4 前回はA氏が「倭国の使者が帯方郡へ朝貢を願い出ることはあり得ない」と主張し、私は「海上迂回戦略」に注目して疑問を呈しました。今回はA氏の理路全体を追って検証してみます。 A氏…

なんとなく違うなあ -司馬懿の海上迂回戦略ー  記事№...6

「古田武彦氏の説のウソ、・・№4」――2−1 景初3年が正しい理由―その3 A氏の「1 景初3年が正しい理由」は二つの部分に分かれています。 前段は「遣使は景初3年が正しい、『三国志』はまちがっている。」という、いわば宣言です。 後段では、「遣使は景…

「お詫び」と 記述方針の変更 ――記事№5

「古田武彦氏の説のウソ、№...3」 まずお詫びです。 この記事を書きながら、HTМLをいじってしまいブログを消失飛させてしまいました。素人は怖い、でも失敗を怖がっては前に進めない、(冷や汗・・)。 再度立ち上げたのですが書き込み日付は復元できませ…

「景初二年、三年論争」の簡単な沿革――記事№4

「古田武彦氏の説のウソ№2」―― 2−1 景初3年が正しい理由その2 「景初二年、三年論争」の沿革 ①二・三年論争以前 ②二・三年論争の始まり ③二・三年論争の激化 ④古田武彦の登場 「景初二年、三年論争」の沿革 「景初二年か、三年か」という問題は、ご存知…

A氏の論述からの引用――記事№3

「古田武彦氏の説のウソ№1」――2−1 景初3年が正しい理由その1 [凡例] 検証させていただくホームページの主さんを、仮にA氏と呼ぶことにします。 「古田武彦氏の説のウソ」は A氏の論文表題であり、私のこのノートの表題でもあります。№1は私のノートのペ…

まずは「自学、自習ノート」についてのご紹介、そしてこのノートは「古田武彦氏の説のウソ」と命名させていただきます。――記事№2

二回目の投稿です。 私はブログについても、ずぶの素人で、とりあえず始めたという状態です。現在手探りで書き込んでいます。 私が書き込むのは歴史の「自学、自習ノート」である、とお断りしました。ノートは編年ではありません、私が興味を持ったテーマご…

始めまして――記事№1

tokujiと申します。今年10月で75歳になります。9年前に仕事をリタイアしています。 趣味もなく、やることもないので歴史関係の自学、自習で時間をつぶしています。しかし、そろそろ一人でノートと本に向かっているのは、気怠くなってきました。同じ問題につ…