2018-01-01から1年間の記事一覧

「遣使景初二年」の証明 2 --- B氏の白石・湖南批判と「景初二年論」 ―記事№...29

「古田氏の説のウソ、・・№26」――2−1 景初3年が正しい理由―その25 前回のまとめとして、今後自分の検証した「景初二年か、三年か」について書くと宣言しました。しかし現状、大苦戦中です。他人の説をつついて何か書くのとは比較のしようがないほど大変で…

「遣使景初二年」の証明 1――景初三年説の出発点 ――記事№...28

「古田氏の説のウソ、・・№25」――2−1 景初3年が正しい理由―その24 さて、前回申しました通り、今回からは前向きに「遣使景初二年」の証明に取り組むことにします。 目次 内藤湖南と『日本書紀』神功紀・『梁書』 神功紀 『梁書』 倭条の公孫淵誅殺は景初三…

「すると、さらに」からの卒業、 ――記事№...27

「古田氏の説のウソ、・・№24」――2−1 景初3年が正しい理由―その23 訳者たちの訳語 「筑摩版訳本」と「修正計画」 筑摩書房版訳本の景初二年説 信長と鉄砲 合格発表の例文 甲州征伐の例文 行為者名を省略しました 省略された行為者を挿入します 信長は実際…

「又」の検証を終えて、 ――記事№...26

「古田武彦氏の説のウソ、・・№23」―― 2−1 景初3年が正しい理由―その22 お詫び ここまでの検証で分かったこと 古田氏批判の出発点 A氏、六段階論理を展開 前回までの検証 「又」=「すると、さらに」=「後」の論理 「又」=「後」 「又」=「すると、さらに」…

例文内の「又」の役割7 最後の「又」5――記事№...25

「古田武彦氏の説のウソ、・・№22」――2−1 景初3年が正しい理由―その21 今回は記事№21からの繰り返し説明が多くなります。前三回うまく説明しきれていないという私の思いがあってのことなのですが少し我慢してお付き合いいただければ幸いです。 目次 「楽浪…

例文内の「又」の役割6 最後の「又」4――記事№...24

「古田武彦氏の説のウソ、・・№21」――2−1 景初3年が正しい理由 ―その20 ケースCの場合。 ここまでの纏め。 第三のルート。 高句麗はこのルートを知っていたか。 「又」へ戻ります。 ケースCの場合。 ここまでの纏め。 ちょっと北遷説に話を戻します。 「…

例文内の「又」の役割5 最後の「又」3――記事№...23

「古田武彦氏の説のウソ、・・№20」――2−1 景初3年が正しい理由 ―その19 ケースBの場 目次 江上を征路に選ぶ 標準的県城 丹東(西安平)付近の兵力 高句麗の騎馬数 船でなく筏 帰路の困難 納得できません ―理解する世界史― 楽浪郡が当時遼東郡西安平県方面へ…

例文内の「又」の役割4 最後の「又」2――記事№...22

「古田武彦氏の説のウソ、・・№19」―― 2−1 景初3年が正しい理由―その18 目次 目次 高句麗の西安平攻撃 要図 二つの経路 訂正 ケースAの場合 往路 復路 高句麗 余談ですが高句麗についてちょっとだけ書かせてもらいます。高句麗とは東北アジア、満州にいた…

例文内の「又」の役割3 最後の「又」1――記事№...21

「古田武彦氏の説のウソ、・・№18」-2−1 景初3年が正しい理由―その17 今回から、やっとこの「又」についての検証に戻ります。 「宮死、子伯固立。順・桓之間、復犯遼東、寇新安・居郷、又攻西安平、于道上殺帶方令、略得樂浪太守妻子。 ――宮が死ぬと、皇…